講演前
「二十周年記念講演会、当日講演会まで聞かないといけないということを聞かされ、正直私は乗り気がなく、長時間他人の話を聞くことが苦痛で嫌だなあと思っていました」
「僕は正直、本音を言うと『ああ、もう記念講演なんてかったるい』と心の中でずっと叫んでいました。もちろん、その日も相変わらずそうやっていました。周りの空気もほとんどそんな感じでした」
講演の後、生徒に書いて貰った講演の感想。多くの生徒がこんな絶望的な気持ちでいた当日、私はもうすぐ始まるステージを想像しながら、生徒たちの表情から読み取ることのできるこれらの気持ちを楽しんでいた。それは、そんなものが一掃される瞬間が間もなく訪れることが確実だったからである。
だが、実は次のような期待を持った生徒たちもいた。
「講演の数日前に母から丸山さんは手話ニュースの人だと聞き、講演時も手話を使うのか、どんな内容を話されるのかとても気になっていた」
「私には耳の聞こえない小学三年生の友達がいる。その子との会話は紙に書いての会話だ。だから手話を少しでもおぼえようと思って本を読むけど、『ありがとう』しかおぼえられない。だから丸山浩路さんの講演をすごく楽しみにしていた」
平成十五年十一月十五日、午前十時三十七分。開演まであと三分となった舞台袖。講師マネージャーが私に最終確認をしてきた。
「オン・タイム(時間通り)でいいですね? 」
「はい、宜しくお願いします」
つい先ほどまで、平凡で穏やかな笑顔を見せていた講師も、既に普通の人から舞台の人への変身を遂げているように見える。
とうとう始まる―舞台に上がる訳でもないのに、どうしようもない緊張に包まれている自分に戸惑っているうちに、時計が開始時刻の四十分を示した。同時に、進行役の宮崎教諭の落ち着いた声が、私の心臓の鼓動に逆らうようにゆっくりと会場に響き始める。
「只今より鹿児島修学館中学校の創立二十周年記念講演会を開催致します。最初に講師のご紹介をいたします。本日の講師は、丸山浩路先生です。丸山先生は、NHK教育テレビ手話ニュースのキャスターとしてご活躍中で、全国各地の文化講演会やトークショーなどで絶賛を博しておられる方です。著書にも『本気で生きよう、何かが変わる』『詩と歌で覚える手話の本』など多数ございます。先生には非常にお忙しいところ、本校の二十周年記念講演会に特にお越しいただきました。演題は『夢は見るもの、希望は叶えるもの―みんなちがって、みんないい―』となっております。
この『みんなちがってみんないい』という副題は、本校中学一年生の宿泊研修の大きなテーマの一つです。願ってもない素晴らしい題をつけていただいたと、学校といたしましても非常に喜んでおります。尚本日は、鹿児島市の手話通訳者の運営協議会から酒匂好子さん、畑中みさよさん、大久保由美子さんにおいでいただき、手話通訳をお願いいたしております。それでは丸山先生、お願いいたします」
このころまではまだ生徒は、
「私は、式典の終わった後、講演はつまらないからさっさと寝ようと、どの体勢が一番寝やすいか考えていました」と思っていたと後に記し、またある生徒は次のように記した。
「最初、式典で講演があると聞いて、どうせ真面目腐った眼鏡をかけた年配の男性が、堅苦しく、厳格過ぎ、私たち若者にうちとけず、儀式ばった話を延々と九十分間、拳を作り、地が沸き立つような激しい熱気で自分の思考を舞台の上で話すものだと思っていた。あの車の上に載って喋っている政治家のごとく。どうせ途中で眠っちゃうんだろうなぁと思っていた昼下がり」
未知の人をここまでこき下ろせるのも才能というべきか? それにしても、人はこうまで自分の知識の範囲の中でしか物事を捉えられない生き物なのだ。たとえそれがどんな価値を持つものであろうとも、実際に体験する以前にはその価値に気付く者はまずいない。だが、多くの生徒や大人たちのように、価値はないと決め付ける姿勢を持ってしまった私たちは、如何に大切なものに出会うチャンスを失っていることか。
しかし、こう言いながらも休むという選択肢を取らずその場に自分の身を置いたことは、彼らが彼ら自身を救う結果となる。
講演開始
照明が落ち、会場全体が闇に包まれる。下りた緞帳の下の隙間から僅かに漏れる舞台の光に奪われる視線。突然、会場に懐かしい木琴のメロディーが流れ始めた。前奏が終わり、歌が始まると同時に、タイミングよく緞帳が上がり始める。会場から拍手が起こる。が、上がった緞帳の向こうには誰もいない。ただ、一本のマイクが中央に置かれているだけである。ひとしきりの拍手が、いつの間にか曲に合わせた手拍子へと変わった。
生徒はこの場面をこう振り返る。
「式典後の記念講演会。どうせ、どこかの偉い人が出てきて、堅っ苦しい話をするんだろうなと思っていた。でも、幕が上がって、それは違うことに気づいた。講演会なのにBGMが流れていて、マイク一本が出ていて――何が始まるんだろう、といった感じだった」
講師登場
その手拍子につられるように、舞台上手(舞台に向かって右側)から講師がようやく登場する。しかも、踊っている? いや、手話だ。手話で歌詞をリズミカルに表現しながらだんだんとマイクに近付いていく。
「舞台の上にはスタンドマイク、しかし人は誰もいません。そのとき曲が流れてきました。誰でも知っている歌です。親しみやすい曲で登場した丸山浩路さん。でも、ただ歩いて出てくるのではなく、手話をしながら歌いながら出てきました。私はただすごいなあと思い、それだけで引き付けられました」
「その人がステージに登場し話し始めると、その場の空気が急に期待の空気に変わりました。まるでその場の雰囲気を魔法を使って変えてしまったその人こそ、丸山浩路さんでした」
中には、不安を覚えたと記す生徒もいた。
「丸山さんが舞台に出てきたとき、この人大丈夫なのかなと本当に思いました」
そしてその歌をバックに、力強く語り始める。勿論、手話表現と共に。
「生きていくということは、誰かと手を繋ぐこと。繋いだ手の温もりを忘れないでいること。巡り合い、愛し合い、やがて別れの日、そのとき悔やまないように、今日明日を生きる。人は一人では生きて行けない。誰も一人では歩いては行けない。
昭和五十七年、ということは一九八二年、十二月十四日に始まったこの鹿児島中学校。歴史を重ねて二十年、鹿児島修学館。中学校一年生九十九名、二年生八十四名、三年生八十九名、総勢二百九十二名。高等学校一年生九十二名、二年生七十八名、三年生八十四名、総勢二百四十六名の諸君。出会いを心から感謝申し上げ、合わせて五百四十六名の素晴らしい校訓を掲げた修学館、記念すべき二十年の節目に出会いを賜りましたこと心から感謝申し上げ、ありがとうございます」
湧き上がる拍手。何という講師だ。講演開始から僅か三分、この三分で我が修学館を描ききった。
一転して講師は、柔らかい口調で昨日の私たちとの出会いの様子を披露し始める。益々沸き上がる会場。笑いと拍手の連続である。
講師の勝手な語りを自分がテレビの前で聞いているのではない。
確かに自分に語りかけてくる生身のおじさんがそこにいる、そう生徒たちは感じたに違いない。
「この講演会、何か違うぞ! 」
初めて出会った一人の講演パフォーマーに対して、会場全体が大きく期待に包まれたのを実感した。だが、そのことは私には当たり前のことだった。氏が暴露した、昨日のあの出会いの場で、それは私の中で確信になっていたのだから。
生徒たちの言葉はこうである。
「最初はこの人はみんなを笑わせるために来たのかと思った」
「初めのうちは漫才のノリだったが、いつのまにか皆、真剣な表情で講演を聴いていた」
またある生徒はこう振り返る。
「講演会は正直嫌いだったし、聞きたいなどとは微塵にも思っていなかった。その理由は単純かつ明確で、『なぜ自分の意見があるのに他人の意見を聞き入れないといけない?』というものだった。だから、今回も眠気がきたら寝ようと思っていた。だけどその眠気は決してこなかった。初めの場面で眠気などやすやすと振り払うインパクトがあったからだ。歌に驚き、手話に驚き、そして何より顔に驚いた。しばらくは学校到着時の話だったが、それだけで丸山さんの話の中へ入り込め、そのシーンがイメージできた。朝礼や授業などで無理やり聞かされる話とは違う、イメージできる世界がそこにはあった」
出会い
何故生徒たちは、ここまで惹き込まれたのか? その鍵は、講演者の次の一言にある。
「『えー』とか『あー』とかなしの九十分間ですからね。絶対飽きさせないよ。ジミー、期待しててよ」
顔を斜め向きにしながら、後部座席から乗り出すようにした講演者の口から語られる言葉を、昨日、私は出迎えの車中で聞いていた。
そのほんの十五分前、私は鹿児島空港の到着ロビーに立っていた。予定の到着時刻が二転三転した当日、疲れ切った面持ちで私はそこにいた。
「ようやくここまで来た」
約一年に渡る『講演会係』の仕事。様々な方に迷惑を掛けながら、米搗きバッタのように頭を下げ続けた日々。しかし、頭の中で練り上げたシナリオが、今、現実のものになろうとしていた。
そしてついに、講演者が搭乗しているであろう便の到着を告げるアナウンスが館内に響いた。講演者は初対面の『タレント』である。「どんな言葉をお掛けすればよいか」「失礼にならないようにしなきゃ」そんなことを考えていると、私の耳には心臓の鼓動しか聞こえなくなっていた。
その時である。
「今夜中に一度舞台をお見せできませんか」
と、一緒に出迎えに来た電通鹿児島の担当者の声が私の隣で突然響いた。え、今夜? 一瞬我が耳を疑ったが、次の瞬間私は慌てて携帯電話を取り出し、学校に連絡を入れていた。
「誰かあと二時間位残る人がいれば」
祈るような気持ちだった。
だが時既に遅し。全ての職員は間もなく来る退庁時刻に合わせて用事を終えていた。
「講演者にステージを見せたいので、私が着くまで残っていて下さい」
そう言えば済む事である。しかし、記念行事の準備作業の大変さを思うと、誰かにこれ以上の急な負担は掛けられなかった。それを察してか、電話口の事務長補佐からは、
「何か(やるべきことが)あるならやりますよ」
という雰囲気が伝わってくる。じーんときた。こういう方々に支えられて私はここにいるのだ。
意を決して無理なお願いを口にしようとした時、視線の向こうに突然見覚えのある顔が現れた。あの表情、あのもみ上げ、写真と同じだ。出迎えなきゃ!
咄嗟に、
「ありがとうございました」
と、無理なお願いを口にすることなくそそくさと電話を切った私は、写真から飛び出してきた現実の人の傍へ急いだ。右腕にファイルを抱え、左手で携帯電話をしまい乍らピョンピョンと走る私には、そこ五メートルが百メートルにも感じられた。
「丸山先生ですね。お待ちしておりました。ようこそ鹿児島へ」
講演者、丸山浩路氏との初対面の儀式の始まりである。
私よりも深々と頭を下げられた丸山氏はすぐさまマネージャーに私を紹介して下さった。
実るほど頭をたれる稲穂かな
ひとしきり出迎えに対しての感謝を述べられた氏は、この直後信じ難い言葉を口にした。
「ところでね、ジミー、鹿児島はいい所だねぇ」
じ、じみー? 俺ってジミーだったの? なんで? えっ?
「私、ジミーだったんですね」
何ともとんちんかんな受け答えをした私ではあったが、同時に私の中ではもう丸山氏は単なる仕事上の存在ではなくなっていた。おそらくこの世に毎日のようにジミーが誕生しているであろうことも冷静に考えれば分かることなのであるが、初対面から一分後には、私は完全に「丸山ワールド」の門の中にいた。
講演のつかみ部分で暴露された出迎えの儀式は、こうして終わったのである。
この後の車中での約一時間は、私にとって珠玉の時間となるのだが、それさえも、全生徒へ向けられることになる氏の魂の叫びの序曲に過ぎなかった。
「『えー』とか『あー』とかなしの九十分間ですからね。絶対飽きさせないよ。ジミー、期待しててよ」
この言葉は、私に
「この人を招いてよかった」
と思わしめるに十分な言葉だった。私には、
「一秒単位でステージを組み立てているからね。すべて計算済みだよ」
と聞こえたのである。その私にとって、会場が丸山ワールドになることは当然の成り行きであった。
さて、講演に戻ろう。
氏は、本校生徒の明るい挨拶やその見事な立ち居振る舞いに感動したと告げ、冗談めかしてこう言った。
「女生徒諸君、お約束申し上げよう。今夜ご覧になる夢の中に必ず俺は出る」
残念ながら、出てきたと訴えてきた女生徒はまだ一人もいないが、もしかすると多くの男子生徒の夢に登場したかもしれない。
自分はこの鹿児島修学館が鮮明に記憶に残った。だから自分も暫くの間は覚えていて貰いたい。しかし講演会なんて基本的に楽しいものじゃない。そんな講演会で許される唯一のものは寝ることだとも。しかし、九十分間寝かせないぞ、と笑う。寝かせないためにどうするか。その答えは、
「俺が目立てばいいんだ」
であった。
いよいよ講演本題へ突入である。
目立とうよ
まず氏は、日本人が目立つことを嫌うことを指摘する。その上で、
「一回こっきりの人生、目立たずしてどうする」
と呼びかける。生きることは、演出も主演もすべて自分がするライヴであり、そのライヴは他人のためにあるのではない。みんながそれを背負っているのだと。
「格好いいんだよ、俺たち」
このような生徒の心を揺り動かす言葉も忘れてはいない。氏が言う目立つということは、私はここにいますと主張することである。他人への関心度が薄まっている今日にあって、何もしなければ、自分の存在が誰かに知られることはない。だが人は皆、自分の存在価値を探しているはずである。それこそ無意識のうちに。では何をどう主張するか。その主張の仕方を、氏は明確に
「型破り」
と
「形無し」
とに区別した。
前者は、それに相応しい光、それに相応しい何かが必要で、それに裏付けられた目立ちたがりを指す。後者は、それらを全く持たない単なる目立ちたがり屋である。
個性重視の教育が叫ばれ始めて久しいが、いつの間にか形無しの目立つことさえをも個性と認めてきた教育界を痛烈に刺す。
「僕は単なる形無しだったことに気付かされた。なぜ自分の個性がいつもつぶされるのか、それがようやくわかった」
こういう生徒自身の気付きが重要である。氏は、君たちの目立目立ち方と私の目立ち方は本質的に違うのだ、と何度も何度も繰り返す。そう、彼は彼にしかないオンリーワンを掲げているのだ。
ここで、氏は重要なポーズを紹介する。
インターナショナルサインランゲージ
「I love you のポーズは、とてもおもしろくて、よく真似をします。母が本当にあのポーズで、父に『いってらっしゃい、もう帰ってこなくていいよー』って言ったら、どんなに笑えることでしょう」
曰く、
「インターナショナル・サイン・ランゲージ 第二号」
と。
「ハッピーなとき、人に感謝の気持ちを伝えたいとき、そういうときにこれを使うんですよ。『ありがとー』って。『おはようございマース』って」
確かに使ってみると、それだけで笑みが零れる。私たちは魔法のサインを手に入れた。
後日、高一のクラスに授業に行った。ついついこのポーズを忘れていたら、後の授業のアンケートで指摘された。
「絶対やってくれると思っていたのに」
生徒の幾人かは期待しているのだ。反省である。
ムササビ
さて、講演はいよいよ中心部分に入る。そう、
「ナンバーワンよりオンリーワン」
である。
実はこの言葉にはその前後に隠された言葉があると言う。その一つが、
「君たちはムササビです」
である。氏は、自分たちには必ずムササビの時代があると説く。
あれもできる、これもできる。あれもやった、これもやった。これをチャレンジというが、丸山氏はこれに嫌々やらされたことも加えて、
「プラス・ワン」
と呼んだ。そうしてこのプラス・ワンを積み重ねる時代がムササビの時代であると。
なのに、この時期大人たちは言う。何でも最後まで続けなさい、どうせやるなら一番になれ、と。
「私の中のオンリーワンとは何かが、どうしても出てきませんでした。好きなことは色々とあるけれど、これこそが自分の中のオオンリーワンだと言えることが何もなかったのです。この事に気付いたとき、私は少なからずショックでした。ある意味『自分』であることが無いのと同じことのように思えたからです。でも、友達と講演の感想を話し合っていたときに、丸山さんが『チャレンジとは、オンリーワンを探すための手段だ』というようなことを
言っていたのを思い出して、救われたような気持ちになりました。
それは、今すぐこれこそが『自分』であるというものを見付けられなくてもいいんだと思ったからです。これからも、もっと色々なことにチャレンジして、その中から自分が本当に楽しめることをゆっくりと探そうと思いました」
中学生には、次のような感想が多く見られた。
「無理して一番になる必要がないとか、無理して続けなくてもいいときいて、肩の荷が降りました」
しかし、高校生になると一歩踏み込んだ分析ができるようになる。
「途中で投げ出してもいい。チャレンジすることに意味があると言っていました。僕はそれでいいのかなと最初思っていました。でも、話が進むにつれて『チャレンジするにつれ、自分にあっているものが必ず見つかる。それが君のオンリーワンだ』と言われて、なるほどそうなのかと思いました。オンリーワンを見つける
ために、もっと色々なことにチャレンジしていこうと思いました」
プラスワンを増やすのは、
「夢を見るため」
ときっぱり。そうして、必ずこれならやれるかもしれないというものに出会うと断言された。
「それに『希望』と名付けてください」
夢は見るもの、希望は叶えるもの。氏は、君たちに足りないものは希望を実現するための努力なのだと投げかけた。
この部分は、本校教諭の感想を引用しよう。丸山氏のどの言葉が印象的であったかについて、
「たくさんのプラスワン(=夢)の中から、オンリーワン(=希望=自分にしかできない生き方)を見つけよう。そして、これを継続することによって、いつの日かナイスワンにしよう。夢は見るもの、希望は叶えるもの」
を挙げたこの教諭は、その上で、
「丸山氏は、ナンバーワンは他人が決めるものであり、ナンバーワンを目指せば、他人が邪魔になり、心に余裕も無く人を思いやる心も出てこないとして、四十三歳のとき、自分のパフォーマンス好きを生かして、自分にしかできない生き方、即ち『講演パフォーマー』の道を自分のオンリーワンにされた。将来は自分の講演からいい香りが漂うようなナイスワンにしようと、今もこの道続けておられる。強烈な個性と実行力に敬服する」
と感動を露わにした。
また別の本校教諭は、次のように振り返った。
「ナンバーワンは人が決めるもの。オンリーワンは自分が決める
もの。無限の可能性の中から、素直に自分を見つめ、自分を試し、
自分に最も適したものを見つける。それが他人に優しく、他人に喜んでもらえるものであれば、真っ直ぐ前進する。そのことで人の値打ちが出てくる。丸山氏の講演は、演台を使わず、手話はもとより身体全体で語りかける異色のものだった。少年時代に偶然に知り合った耳の不自由な村長さんとの出会い。それがきっかけとなり手話通訳の夢を温め続け、希望を叶えるまで弛まぬ努力をする。豊富な経験、豊富な知識に裏付けされた巧みな話術に魅了された。正しく彼は、オンリーワンであり、ナンバーワンである」
更に、別の教諭は言う。
「鹿児島県に多くの学校があるが、八校時が設けられ、週一時間中国語講座と工作教室の授業が行われているのは修学館だけのオンリーワンであろう。進学校である本校の教育は、有名大学合格だけでなく、幅広い人間形成の教育を目指しているのが窺える。私は、工作教室を一人で担当しているが、生徒たちは楽しく生き生きと積極的に活動している。多くの学校や生徒の中でオンリーワンの教師であることに誇りを持ち、これからも努力していきたい」
プラスワンを積み重ねる中では、だめだと思ったら無理に続ける必要はない。むしろ、新たなことに果敢に挑戦をし続けることが大切なのだ。しかし、
「これならできるかも」
と一旦希望を胸にしたなら、決して諦めずに真っ直ぐに、そして真摯に取り組み続けるのだ。継続は力なりという言葉がここで生きてくる。
継続すること
氏は、この継続することの凄さを、
「一円倍増三十日」
で説明した。三十日目の五億三千六百八十七万九百十二円という数字に度肝を抜かれたのは主に中一の生徒たちである。
「最も心に残ったことの一つは『一円倍増三十日』です。これを聞いて、何ごともどんどん重ねていくうちにいつかはとてつもなく大きくなるんだと思いました。これからは、あきらめないでど
んなにいやなことがあっても、それを重ねていきたいと思います」
途中休まずに続けることは、一本の線が伸びるのではなく、だ
んだん面になるのだという発想は、私たちに勇気を与えてくれる。
氏はこう言う。
「自分が想像しなかったことがドンドンどんどん生まれてくる。これが継続ってこと」
そうか、継続って何かを目指すだけじゃないんだ。そこには私たちの予想を超えたモノが存在しているんだ。やった者にしか判らない価値があるというのは本当だったのである。
変身せよ
ここで氏は、生徒たちが勉強する意味を描く。
「いつの日にかムササビから変身して、自分の中の希望を見つけて、それをオンリーワンとして掲げるために、君たちは鹿児島修学館中学校高等学校で勉強を重ねていくんだ」
生徒はこの部分にも反応している。
「『ムササビから変身しなさい』丸山さんが放ったこの言葉は、講演会をぼうっと聞いていた私にグサリと刺さりました。走れる、木にも登れる、泳げる、飛ぶこともできる、穴も掘ることができる。一見何でもできて、誰よりも優れているかのように見えるムササビは、よくよく見ると何一つ『これだけは』というものを持っていない中途半端な存在。だから、何か一つでも誇れるものを持つものに変わりなさいという丸山さんのお話は、まだ私の中でぐるぐると、丸山さんの声とポーズ付きで動き回っています。突き刺さった言葉の感動は、確実に私の心を上向きに振れ動かしている気がします」
変身を遂げたムササビがオンリーワンを掲げる。そこには自分を認める姿勢即ち自信が満ち溢れ、心には余裕が生じる。その余裕が人を思い遣る優しさに繋がるという件は、今の自分たちの教育の方向性の正しさを裏付けるもののように思えて、非常に嬉しかった。昨年から導入し、中一で行っている『自分発見ポートフォリオ』には、自分を大切にする心が他人を認める心に繋がるという基本姿勢がある。
丸山氏の言葉を通じて、生徒は『優しさ』を改めて意識するのである。
「やさしさって何? って聞かれたとき、私は人を助けたりすることかなと思いました。でも、丸山浩路さんは、そんなことではないと言いました。それは『人の個性を知る勇気だ』と言われて、私はそうなんだと思いました」
この生徒は、人の個性を知るときには必ず嫌なところも見えてくるので、それを認めるのは本当に勇気がいると述べた。
「みんなちがってみんないい」
ということを認める勇気、それこそが人間にとって最も大切な人を思い遣る心=優しさであると氏は言う。そしてそれは、自分の中にオンリーワンを見出せた人が?むことができるのだとも。
冒頭の司会進行の言葉の中にもあるように、この言葉は本校の中一フレッシュマンセミナーでのテーマの一つである。生徒たちの多くは、自分のことは理解して欲しいと思い、同時に相手のことも理解したいと思っている。しかし、どうしても違う考えの相手を許せない。なぜなら、相手は自分と同じ考えのはずだとの認識から抜け出せないからである。
波の形
丸山氏は、この考え―みんなちがってみんないい―は、自分が七歳の時から二十二歳の時まで、ある人にずっと言われ続けたことだと言う。このエピソードは、かつて読売新聞に掲載された。小黒村の村長、横尾義智氏の紹介もかねて、その記事の内容を再現しよう。
「切符を見せなさい」一九五〇年夏。黒煙をあげて走る長岡駅発の汽車の中で、無賃乗車を疑われた青年は、年配の車掌に腕をつかまれ、どなられていた。青年は困ったように周囲を見た。その時、背広姿の紳士がメモ帳に走り書きして、名刺と一緒に車掌に手渡した。
「この人は耳が聞こえません。切符を無くして困っています。ヨコオ・・・」
車掌はメモと名刺の「横尾」の文字を読み上げた。青年が難聴者だと知った車掌は筆談に切り替え、事態は収まった。
それを見届けた紳士は、近くに座っていた当時九歳の丸山浩路に一枚のメモを渡した。
「君とはよく会いますね」
日本の政治史上、唯一といわれる“ろうあの村長”横尾義智(一八九三―一九六三)との出会いだった。
丸山は、長岡市から三和村の本家に向かう汽車の中で、既に村政から退いていた横尾とよく乗り合わせた。いつしか横尾から手話を習うようになった。
汽車が海岸沿いを通る時、寄せては返す波を見つめ、横尾は少年に伝えた。
「波の形が一つ一つ違うように、人間も違っていていい。私は、耳が聞こえないという波の形」
丸山は、手話を一生の仕事にした。現在、手話を駆使した「ステージパフォーマー」として全国で講演活動を行い、NHK教育テレビ「手話ニュース」キャスターも勤める。
講演では、さすがに当事者だけあって生々しい細かな描写で、私たちの心に迫ってくるものがあった。生徒たちの感想にも、
「小さい時に耳の聞こえない人と知り合い、そこで初めて手話を教わって、それが今の丸山さんにとってかけがえのないものになっているという話を聞いて、人は何が自分を作るきっかけになるのかわからないものだなぁと思いました。だからこそ、色々なものに挑戦することは自分のためになるのだと思います」
と、出会いの大切さを感じた記述が多く見られた。
確かにこの少年期の出会いが、後の四十三歳の丸山氏の運命を決める大切なものであることは疑いようも無い。しかし同様な出会いをしても、人により運命は異なるものだ。丸山氏の出会いを無駄にしない資質が、そうして人の言を受け入れる心の純粋さがそれを可能にしたといえよう。
本校教諭の一人は、この講演で心に残ったところを次のように挙げた。
「人間はみんな違う波。その違いを認め合うことが優しさであり勇気である。しかし、与えられた波の形から変身する努力をしよう。人間は変わってこそ成長する。どんな人でも他の人とは違ったその人なりのいい点、自慢できる点、その人なりの生き方がある。みんなちがってみんないい。基本的人権はもとより、他者の個性を認め合い、そして自分は自分で、自分の人生の演出も主役もやって目立つ。一回限りの人生だ。目立たないでどうする。力強い生命力と元気さ、気骨を感じる」
生きていくためには、自分の波の形をまず認めそこから出発することが必要なのである。しかし人間にとって、自分の境遇を受け入れることほど辛いことは無かろう。癌の告知を例に挙げるまでも無く、受け入れ難い波の形もそこには存在するからだ。従って、それには当然「勇気」が必要である。
では、人はどのようにしてその勇気を手にすることができるのだろう。その答えの一つがこの講演会である。次の生徒の感想をご覧いただきたい。
「丸山さんの話を聞いて私が思ったことは、人に無理して合わせなくてもいい、自分は自分のままでいいということです。私は中学校に入って少し無理をして、人に合わせているところがありました。人に嫌われたくなかったからだと思います。でも、それは偽りの自分で、本当の自分ではないと思う。これからはありのままの自分をさらけだしていきたいと思います」
もう一人は、
「丸山さんの講演を聞いて、直さないといけないなと思うところが幾つもあった。その一つが『自分らしく』というものだ。講演を聞くまでの私は、『必ず友達と合わせる』『自分の意見を言わずに相手が言った意見に賛成する』などということがすごくあった。だから、オンリーワンなんて見つけ出せなかった。でも、丸山さんの講演を聞いた時、『今までの自分はまちがっていたんだな』と考えた。『人に合わせる必要はないんじゃないか』と。こからは『個性』を大事にしようと思った。『みんなちがってみんないい』の言葉は、集団の中にいる私たちが知っておくべき言葉だ」
と書いた。
人に合わせることも実はその人の個性であり、それを受け入れることからすべては始まる。この生徒たちは、講演会をきっかけにそういう自分の姿に気付き、その波の形を捻じ曲げていた何かに気付いた。それを排除して、自分らしい波の形を出そうというのである。ただ、常に自分は変わり続けることが前提であることも忘れずにいて欲しいと願いたい。
オンリーワンの優しさ
さて、講演もクライマックスを迎える。最後を飾るエピソードは、皆が涙したあの『五井先生と太郎』である。
保護者は保護者の立場で、生徒は生徒の立場で、そうして教師は教師の立場で、それぞれ自分に置き換えて胸を締め付けられたに違いない。
「自分の両親が二人とも耳が不自由だとどんなに苦しくてつらいことなのかとても伝わってきた。そんな中で五井先生のすることの意味に気付いたとき、なんでこんなに相手のことを考えられたのだろうと思った。『太郎』と呼ぶことにとても愛情を感じ、他の慰めの言葉よりもずっと太郎にとってよかっただろうと感じた」
私の父と母は耳も聞こえるし伝えたいことを口で言えるし、私の名前だって呼べます。親に自分の名前を呼ばれたことだって特別なことではないです。だけど太郎君にとってはとても特別なことでした。こんな風に人はそれぞれ、特別だと思うことも違うし、置かれている環境も違います。だからこそ、みんな違うけどみんないいのだと」
「耳の聞こえない、口の利けない両親に『僕の名前呼んで』と太郎が懇願する姿が辛かった。無理だと分かっていながらそう言っている太郎の気持ちを思うと、涙が溢れて止まらなかった」
「太郎が、『名前呼べないなら、僕なんか生まなきゃよかったんだ』と父親に迫ったとき、父親が太郎に切々と訴えたことに感動しました。『君は耳の聞こえない両親の子という波の形。そこから始めてくれ』の言葉は、痛いほど胸に刺さりました」
生徒の中には、自分の親子関係を振り返るきっかけとなった子もいた。
「この太郎の話を聞き終わったとき、私は今まで実にひどいことを両親にしていたなと感じました。今、申し訳ない気持ちで一杯です」
「世の中には色々な親子関係を持った人たちがいるんだなと思った。自分は恵まれた環境で育てられたと思う。恵まれた環境というのは大金持ちの家だとか、大きな家を持っているなどという意味ではない。親からしっかりとした愛情を受けて育ったという意味だ。その割に、自分は親に迷惑をかけっぱなしだ。学生の仕事でもある勉強をほとんど二の次にして友人と遊んでばかりだ。
まずは勉強をしよう。そして休みの日には家事の手伝いなどをしようと思う。一つ一つをきっちりこなし、親を安心させられるようになりたい。そしていつか親孝行ができたらいいなと、講演を聴き終えて思った」
フィナーレ
氏の講演はこのあとフィナーレを迎える。次の言葉を朗々と語りながら。
「人間生きていて最後に残すものは出会い」
「自分は生きていることに意義がある」
「自分の存在が他の人の喜びに繋がる」
「お母さんを知っているかい」
「お父さんを知ってるかい」
「友達を知っているかい」
「自分を知っているかい」
「命って知っているかい」
エンディングの歌を手話入りで熱唱する丸山氏。自然に沸き起こる手拍子。そうして盛大な拍手の中で、「私は生きている」「私は何かができる」そう言って、静かに緞帳が下りた。
本校教諭の何名かが、講演全体の感想を寄せてくれた。
「実際には、言葉そのものより、彼の演出の仕方に一番感銘を受けた。世の中にこんなに人を惹きつける話、演出ができる人がいるものかと衝撃すら感じた。曲に合わせて踊りながら入場。一同が唖然とする中、殆どの人の第一印象を自分で代弁。そして、中・高生の関心を最大に惹きつけたのは、タッキーが友達だということ。完璧な導入である。
そして、本題のナンバーワンよりオンリーワンの話。聞く人皆が、聞き漏らすまいと集中する。
最後に、涙が止まらなくなるような印象深い話。間違いなく、この講演会が忘れられない記憶として残る。この間、時間にして九十分。あっという間であった。
この構成は、我々の授業にも応用できると思う。このような授業が展開できればその先生の評価は鰻上り。本校の未来も明るい」
「自分の存在が他者の喜びに繋がる。その喜びを手にすることこそ、人生の本当の目的である。人は一人では生きられない。誰かと手をつなぎ、その温もりの中で生きていく。他者の喜びに繋がるような生き方、すばらしい。そのとおりだ」
「『みんな違っていいんだよ』『違っているからすばらしい』『精一杯生きる』『今あるところから出発する』などに感銘を受けた。『君は他の人と違っていて魅力ある個性を持っていて優れた人物だ』を英語一文で表現すると、”You are different.”になると思います。本校中学二年生英語の二学期末試験の出題範囲の一つである教科書のユニット1は、Let’s Learn Braille(点字をおぼえよう)です。そして、sign language( 手話)も出てきて、・共に生きる社会を目指して ・ボランティア活動 の二つのタイトルでの学習も盛り込まれています。生徒たちは講演を聞いて感動して、これらの学習を自分の問題として真剣に学習していく姿勢を示しています。私も生徒たちと学びながら楽しく過ごしています」
「一人一人の今後の生き方について、多くの示唆と感動を与えていただいた。謝々! 講演のまとめにふさわしい歌。手話を交えていながら精一杯の姿は最高であった」
「人生の指針を熱っぽく語りかけて、大きな感動を与えてくれた。
巧みな話術と豊富な体験に裏打ちされた話は、多くの聞く者を惹きつけた。素晴らしい講演であった」
そうして、花束贈呈の後、最後に語った言葉が次に出てくる。
「『私も皆さんと同じだ。皆さんが十代を精一杯生きているように、私も六十代を精一杯生きている』に感銘を受けた。ほとばしる歌あり、みなぎる力あり、笑いあり、涙あり、ただただ聞き浸った時間だった。そしてまた、話に引き込まれ、感動を体で表現している生徒たちの姿を後ろから見て、『やっぱりすごい』としか表現できないと思った。私も授業の中で、あんな時を一瞬でも生徒と共に味わいたいと思った。また、五井先生のように生徒に呼びかけたいとも思った。さて、六十代に突入した私が一つ挙げるとすれば上記の言葉である。いろんなことに取り組みたい気持ちはいっぱいあるのに、『もう六十だ』『残りはいくらあるか分からない』と悲観的になる。生徒との別れ際に、氏は『一度しかない六十代を生きている』の言葉を吐かれた。ちょうど辛いことの多い日ごろのこと、胸を突かれ、体を押された。『今の私』、『私の六十代』は意味がある、と元気が出た。これからも疲れたら、氏の元気を思い出させていただこう。六十代のオンリーワンを見つけよう。六十代の経験を楽しみつつ生きていこう。年甲斐もなくと言われそうだが、素直にそう感じさせられたのであった」
この講演、どうやら生徒や先生の人生観をチョイと動かした手応えがある。
後日中学校の生徒に、丸山さんへのメッセージを葉書に書いてもらった。その中でも印象的な一品をここに紹介しておこう。
メッセージ
丸山氏の講演の締めくくりは次の言葉だ。
「素晴らしい修学館という舞台の上で、自分が主役をやり自分が演出する自分のライヴ。自分でなければならないものを必ず演出してください。本気で生きると何かが変わる。本気になると世界が変わる。本気になると自分が変わる。何も変わらないとしたら、まだ本気になっていない証拠だ」
生徒の感想文の中に「丸山浩路さんへ」宛てたものがあるので紹介しよう。
「私は久々にかっこいい人を見たと思いました。かっこいいと言っても見た目じゃなくて、ハートが。そして講演を聞いて、私の心にずっと重くのしかかっていたものが軽くなった気がします。
私は油絵を描いています。でもなかなか思うようにうまく描けません。上手く描ける子が羨ましくて、自分がどうして描けないのかずっと苦しい思いをしてきました。相談してもずっと悩み続けました。私なりに頑張ったのですが、思うようには進めません。そのうち疑問が生まれました。『私はなぜ絵が描きたいんだろう』と。人に褒められたいから? 賞が取りたいから?
『違うだろう! 』
丸山さんのメッセージが心に響いてきました。人と比べてどうするんだ! 自分は自分じゃないか。自分には自分の良さ・オンリーワンがあるじゃないか! と。
今まで誰も言ってくれなかったことを丸山さんが言ってくれたのです。どうして今まで気付かなかったのでしょう。
私は、好きだから絵を描いているのだ。それが『私』なのだ。
そう気付いたとき、とても胸が軽くなりました。
丸山さんの講演を聞いていなかったら、ずっと気付かないままだったかも知れません。講演が聞けて、本当によかったです。
家族や友人、生きることの重みを直に感じ取ることもでき、とても感動しました。
丸山さんのことは、私の心の中にしっかりと刻み込まれました。御安心ください(笑)。
陰ながら、丸山さんのご活躍を見守って行きたいと思っています。
本当にありがとうございました」
生徒は僅か九十分の講演でこんな決意までできるのだ。なかなか本校生徒も考えている。
「私は、丸山先生のお話を伺って、決意したことがあります。それは、たくさんのことに挑戦して行こうということです。今の私は、何をするにも消極的で、自分の優れている面も見つけられずにいます。なので、趣味はとか特技はとか聞かれても、口ごもってしまいます。このままでは私は『ムササビ』になることもできないような気がします。しかし、これからはいろいろなことに挑戦し、自分のできることの範囲を広げていきたいです。そして、私の人生での経験を増やし、自分には何が向いているか、私が得意なのは何なのかということをじっくり考えて、社会にはばたいて行きたいです。
まずは、『立派なムササビ』になること。それが今の私の目標です」
そして新しい出会いへ
丸山氏が人生の転機を迎えられたのが四十三歳の時という。私が今年四十二歳。そうか、人生これからなのだ。
「丸山さん、私がその気になった時はあなたの下へ走っていいですか」
「いいとも、ジミー! 」
出迎えの車中で交わされた小さな小さな約束。例え氏が忘れようとも、私は忘れることは無い。この約束がある限り、私は今の私の生きる路を全うすることができる。この世に存在する、多くのジミーたちと同じように。